国民よ!日本人としての誇りを持て!!

大阪に残る強制連行の銘版。其の三「生國玉神社・社生玉公園、都市防空壕跡銘版」

大阪に4箇所存在する、「朝鮮人強制連行」と刻まれた銘版。

今回は天王寺の生國玉神社、生玉公園付近にあるもの。

「朝鮮人強制連行」という言い分が、いかに嘘ばかりの歴史事実捏造であるかは前回のタチソ、前々回の安威倉庫の回で述べさせて頂きました。
是非そちらをご参照いただければと思います。

さて。
この生玉(いくたま)にある「朝鮮人強制連行」の銘版ですが
まずは行き方。
そのあと、戦時中、戦後と、ここは一体どのような場所だったか
ご紹介させていただきます。

場所は、生玉公園の中です。
住所は大阪市天王寺区生玉町1-6

右手に生國玉神社(いくたまさん)、左手に生玉公園を見て進みます

すぐに右手に小さい野球場のようなものが見えてきます。

左手に野球場を見て、そのまま敷地内の道を進んでいきます。

階段が見えてきます。これを降りていくと辿り着きます。
その前に・・・念のため反対側からの入り口ルートもご紹介しておきます。

松屋町筋(別名まっちゃまちすじ)から入っていく生玉公園入り口ルートです。すぐ着きます。

この見えてる階段を上がったらもうゴールです。

ここがゴールです。
先ほどの神社方向から来た階段からも、降りたらすぐに見えてくるスペースです。


書いていますね。
植民地支配の下で
「強制連行などにより集められた朝鮮人が過酷な労働に従事させられた。」との体験者の証言があります。

証言?
しょおおおげん??
合法の下の日韓併合によるのちの徴用を
併合→植民地
徴用→強制連行
などと曲解した人物の証言を、あたかも真実かのように書くこの銘版。

分かりました。そう言うなら。
韓国や日本のエセ左翼(学校の教師など)が
日韓併合を「植民地支配」と呼ぶこの発言がいかにデタラメかご説明させて頂きます。

1910年。
韓国併合二関スル条約に基づき日本が大韓帝国を併合。
大韓帝国側は政治組織を中心に、日本との連邦制「合邦」をとろうとしましたが、無理だったのです。

あまりにも日本と朝鮮の国力の差がありすぎたため「併合」となったのです。

どれほどかというと当時、朝鮮は地図にも「朝貢属国」と書かれる清の属国。(冊封国)
大韓の皇帝は、清の皇帝どころかその使役よりも身分が低く、国家の主権は認められていませんでした。 (三跪九叩頭の礼をチェック!)

独立国家としての肝心要な貨幣を造る権限も無く
木々は無く
よく言うハングルを日本に奪われたもなにも、国全体で識字率が低く
国土は荒廃し
食料は常に不足し
街のあちこちに糞尿が散乱する始末。
朝鮮半島全体で、今の北朝鮮にも劣る荒廃が広がっていたのが当時の朝鮮の状況です。
朝鮮という名の由来すら、李氏朝鮮初代王の李成桂(イ・ソンゲ)が明の洪武帝に、朝鮮か和寧か選んでいただいた末に決定。

かつて朝鮮は、親明勢力とみなされ後金に制圧され(丁卯胡乱)
李氏朝鮮16代国王の仁祖が、王朝主戦論のもと、後金のちの清に抗うものの、40日ほどの篭城で降伏に至る。(丙子胡乱、または丙子之役)

その清を討ち破り
下関条約において自国朝鮮を独立国と認めさせた日本と
朝鮮の国力の差がいったいどれほど大きかったか。
火を見るより明らかです。

問題の日韓併合とは
1910年(明治43年)8月22日、漢城府で寺内正毅統監、李完用総理が調印し、29日に裁可公布発効が成された、万国公法において日韓の正式文書で交わされた併合条約に基づくもの。
韓国・北朝鮮側は未だに日韓併合を不法と言い、この言い分が銘版にもある「植民地支配」なる言い分ですが、こんなことを言ってるのは韓国、北朝鮮ぐらいです。

韓国側は合邦としたかったが
あまりにも日本との国力の差がありすぎて併合となったのが史実です。

たとえば両班(朝鮮貴族)による下層階級への虐待を、朝鮮人自身で克服することを不可能とし、日本との合邦によって実現できると考えたのは韓国人自身。(一進会、李容九)

国力もとい、文明の差もあまりにも・・・あまりにも酷すぎたのが史実です。
代表例を言いますと当時、朝鮮の社会風習には
便器と食器の区別がそう成されていなかった、ビックリの風習があったのです。
・・・これらその他の文明の実態をほりさげるとキリがありませんので・・
お勧めの図書があります。

イザベラバード(イザベラ ビショップ)「朝鮮紀行」
イギリスの女流旅行作家が書いた、朝鮮半島の文明の実態です。

ここまで、朝鮮をひどく罵倒する内容を綴ったと思われるかもしれません。
しかし、述べたことが史実なのです。
馬鹿にするつもりなど無く、事実は事実です。
その歴史過程を経て、韓国政府のように嘘ばっかりつくのでなく
今は今として、反日勢力にとらわれることなく韓国で生きている人がいたらば、どうして彼らを馬鹿になどできるでしょう?

馬鹿にする必要などあるでしょうか?
むしろ、日韓合邦を持ち出し、併合に至った政治団体と大韓帝国の判断は賢明だったといえます。
そうでなくば南下政策を取りつつあったロシアにのまれていたことでしょう。

歴史も大きく変わり、当時の冊封体制から抜け出したものの、有無を言わさぬ共産主義にのまれて今頃、韓国という民主国家があったかどうか。

日本が朝鮮を「植民地支配」したかどうかは、その後の朝鮮半島の目覚しい社会インフラ発展を見れば一目瞭然です。
例えば、未だに北朝鮮は、当時、日本が設立した工場を使い回ししていたり、人口増加、産業発展、衛生面強化など
ちょっと調べていただければ明らかになります。

欧米の各国アジア植民地支配と、日韓併合を同列に見るなど、愚かもいいとこです。

ざっくりですが、これらが日韓併合の史実の基礎基本的な歴史事実です。
とくに学校の先生方嘘ばっかり教えないように。

日本は朝鮮を、欧米がアジア各国にやっていたような植民地支配になどしていません。

さて・・
天王寺生玉公園の「朝鮮人強制連行」銘版に戻ります。
ここはどういう所だったか。

今はコンクリートで封じられていますが、ここは昭和15年当時
都市防空壕が建設され、2年後の昭和17年に完成したところです。

・・あら?

・・・そうです。

もうおかしいですね?

銘版の内容を思い出してください。

植民地支配の下で
「強制連行などにより集められた朝鮮人・・・
とありますが

強制連行が嘘っぱちである事は前回、前々回で綴らせて頂いたので割愛します。肝心なのは

昭和15年~17年は連行もなにも、徴用すら朝鮮には発令されていませんが?????

それどころか1939年(昭和14年)。
あまりにも渡日する朝鮮人が多く、朝鮮総督府が制限をかけていく中、密航してきた朝鮮人7400人中、94%がむしろ強制送還されています。
(同成社「日本の朝鮮・韓国人」・1939年版「社会運動の状況」)

連行どころか送還せざるを得ないほど当時、本土に渡る朝鮮人が多かったのです。

あたかも日本だけが全て悪く、軍部だけが暴走して開戦したんだと言わんばかりの嘘ばっかり。

ただちにの銘版も、文言修正、或いは撤去しましょう。

ちなみに、ここに来るとやたらに「公園内のテント・小屋がけ禁止」との看板が立っています。
5,6年前までここもブルーテントが乱立していたのです。

みかねた行政が、住居不定のテント暮らしの人たちに生活保護と住居探しの段取りを取り始め、ブルーテントは減少傾向になっていったのです。
「ここも」と申したのは、この近く、まっちゃまち筋を下って天王寺を越えると西成区です。
もうお分かりいただけると思いますが、生活保護の観点が日本一壊れている行政、街と言っても過言ではありません。

ブルーテント乱立阻止は分かりますが、大阪府民としては生活保護の乱用阻止も厳しくお願いしたいものです。

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