国民よ!日本人としての誇りを持て!!

大阪に残る強制連行の銘板。其の一「茨木市安威倉庫跡地」

大阪市中央区にある、ピースおおさかがリニューアルオープンし
以前展示されていた「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などのブースは信憑性が無いものとして廃棄処分されました。

これに関し松井一郎府知事は
「中立性を確保し、歴史事実のみ展示をしている」と説明。

そうです。
歴史資料は偏り無く事実を展示せねばなりません。

ならば。
大阪の茨木市、高槻市、天王寺生玉、大阪城公園に未だ残る
徴用を曲解した感情論の「朝鮮人の強制連行」の字が刻まれた銘板も歴史事実に反しているので撤去、あるいは修正せねばなりません。

大阪府内に現存している「朝鮮人強制連行」の銘板は
茨木市桑原408付近
高槻市成合北の町829-3付近
大阪市天王寺区生玉町1-6(生玉公園付近)
大阪城公園内(旧第四師団指令庁舎付近)

これらが確認されています。
わたくし石川、現地で現存していることを確認して参りました!

ブログで4回に分けて各地の実態と歴史を照らし合わせてご紹介いたします。
お近くの方はぜひご自身でも見に行かれてみて下さい。

今回は
大阪府茨木市桑原408付近にある
安威倉庫跡地の銘板です。

まずは非常に分かりにくい現地への行き方をご紹介いたします。

国道171号【茨木から高槻方面へ進んだ場合】西河原西交差点を左へ曲がり、46号線を進みます。

「長ヶ橋北詰」交差点。左手にサークルKが出てきます。この交差点を左に。

ガソリンスタンドを越えると、安威川にかかる橋が出てきます。
次の交差点の信号の手前の道を左に入ってください。交差点を左ではありません。

ここです。橋を越えてすぐ左。

この道に入り、見えているT字路を右です。

どんつきを左に。そのまま道なりに進んでください。

すると右手に見えてきます。

これが「安威倉庫跡地」の銘板です。

「強制連行された朝鮮人」と記載されていますね。
1995年12月に建立されたものです。
これは産経新聞などでも明らかにされていますが、朝鮮総連の圧力があったゆえに「強制連行」の文字が刻まれた経緯がある銘板です。
(「朝鮮人強制連行」大阪にも偏向銘板 茨木市「歴史認識に誤り」と府に撤去要請へhttp://www.sankei.com/west/news/140725/wst1407250033-n2.html
市関係者によると、市が作った当初の文案では「強制連行」に触れていなかったが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)のメンバーら数人から「もっと日本の加害に踏み込め」と抗議を受け、「強制連行」の文言が入ったという。
銘板に疑問を抱いた市民団体「戦争資料の偏向展示を正す会」が平成21年夏、「強制連行の定義や根拠が不明」として、橋下徹府知事(当時)に対する質問状で銘板の文言変更か撤去を求めた。だが、府は戦後50年当時は過去の戦争や植民地支配を謝罪した『村山談話』があった▽教科書に一般用語として使われていた-などと拒否した。)

よく日本のエセ左翼や韓国政府らが言う強制連行とは徴用(ちょうよう)のこと。
徴用とは昭和14年から昭和20年の国民勤労動員令によるその後の一本化の間
日本国民に一律に課せられた義務のこと。

朝鮮半島に発令され、実施されたのは終戦間近の昭和19年9月から半年間。
徴用とは強制性を持つものの、当時日本の統治下にあった台湾、満州、朝鮮にも一律に日本国民に課せられた当時の義務です。
(国民勤労動員令一本化、国民勤労動員令廃止等ノ件 勅令第566号により廃止)

これを強制連行などと言う日本のエセ左翼は数十年後
「学校が嫌なのに強制義務教育を受けさせられた!」
「貧乏なのに強制納税させられた!」
「働きたくないのに強制勤労をさせられた!」
などと言い、いつか提訴でもする気でしょうか?

そして辻褄が合わないのは、韓国国会議員、韓国国民は
なぜ自国 韓国の徴兵令こそ軍国主義だ と騒がないのでしょう?
嘘つきのご都合主義には呆れるばかりです。

さて!話は戻りまして茨木市にある安威倉庫跡地。
戦時中ここはどういった所だったのか

昭和19年の終戦間際。
現吹田市の山田倉庫が手狭になったため、大阪海軍軍需部の地下倉庫(地下壕)がこの一帯に作られました。

地下壕の他に、この安威川付近に海軍軍需部出張所、木造倉庫、朝鮮人宿舎、熊谷組事務所、大日本鉄砲三島工場などがありました。

この安威倉庫には、軍衣、糧食、工事用具などが保管されていたそうです。
薬品、麻酔補助や鎮静剤、あるいは阿片原料でもあるケシ栽培が政府管理下の下にあったという証言もありますが、証言しかないので因果関係なども調査中です。

ここで労働に従事していた朝鮮人は徴用、あるいは渡航の合法労働者。

ただ、我々も留意しながら史実を見る必要があります。
合法といえど朝鮮人も日本人も、終戦間際となると職業軍人がほとんどおらず、戦線も労務も大変苦労されたでしょう
もちろん台湾、満州の方々も今の労働価値とは考えられないような忍耐を必要としたことでしょう。
当時と今の価値観を同列に見ることは、エセ左翼のように史実を見誤ることになりかねません。

・・・余談ですが不詳わたくし石川、音楽を聞きながらこの一帯を散策をしておりまして・・・
その時にたまたま流れていた長渕剛のいのち という歌の歌詞

「正義に倒れ死んでいった者達の墓の上に
こっそりつばを吐き弱者を気取る大馬鹿野郎」
とくに聞き入ってたわけでなく、ふと耳に入ってきてぼーっと考えたのですが
これらの問題、まさにこういう事じゃないか と思うのです。

当時、戦時中。
徴用拒否という流れもあったことから本当に色々な思いが交差していた激動動乱の時代。

地下壕の掘削という危険を伴う作業もそうですが、先人が身をていした当時の時代背景は
後世の人間が建てたこの銘板のような、大東亜戦争(太平洋戦争)はアジア・太平洋地域に災禍と苦痛をもたらしただけのものだったのか?

いい歳した大人が戦争賛美などといういい加減な言葉に怯え、まともに開戦経緯と当時の価値観を損なわず後世に教えられているだろうか?

永野海軍大将が言い放った
「戦わざるも亡国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は日本民族精神の亡国。
たとえ戦いに勝てなくとも祖国を護る日本精神が残り、子孫は必ず再起し、あるいは三起する。」

日本は経済的には再起はしたでしょう。

しかし、街角にある この「強制連行」の銘板を、後世の我々は
当時の先人たちの史実をねじ曲げ、弱者を誇張し、嘘つき国家や人権屋らが未来永劫悪銭をたかる道具のようにして放置している。

ただちに撤去、あるいは修正をするのが普通ではないでしょうか?

当時、この一帯や他の地域で労働に従事し、倒れられた方々も生き残った方々も苦労をされた。

それに関しては、日本人も朝鮮人も、台湾、満州の方々も同じ。
後世の我々は教訓を頂き感謝せねばなりません。

だからこそ
弱者こそ強者かのような横暴な振る舞いを個々の人権に摩り替え、かつ歴史事実まで捻じ曲げる人間のクズを、わたくしは本当に許せない。

こんな悪銭守銭奴を生かす為に、こんなゲスらの自由奔放のために
ご先祖様は戦い、耐えたのだろうか?

どんな国であろうと歴史に光も影もあります。

よくエセ左翼は、自分たちと違う観点を「偏見」と呼ぶが、己らこそが偏見の立ち位置にいるから違う意見のほとんどが偏見に見える見識の狭さに、いい加減気付けと申したい。

戦後70年。
申し訳ないのですがわたくしは
「だから何だ?70年目だから拉致被害者が帰って来るのか?」といった具合にしか思えませんが

どうせ節目の戦後に世論全体で思いをはせるのならば・・・

歴史事実ではない「朝鮮人の強制連行」銘板は、後世の為に削除すべきではないでしょうか

写真は安威倉庫跡地から眺める、高槻方面の山。

さて次回。
安威倉庫と同じようにこの山の向こう、高槻にも存在する地下壕「タチソ」についてご紹介させて頂きます。

※安威倉庫跡地は私有地です
無断で立ち入らないよう、ご注意ください。

安威倉庫から1~2キロほどの所には大念寺というお寺があり、戦時中の陸軍歩兵隊の方々が眠っておられます
お近くに寄られたらぜひご挨拶へ。。

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